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霊性

考え事や絵や写真を留めておくブログです。メンタルヘルス、いじめ、不登校、恋愛、哲学、イラスト、写真、ファッション、色々な物を題材に記事を書きます。

私は誰なのか 診断による許容

日常 メンタル

私は誰なのか、と聞けば多分周りの人は名前や所属を答える。

私が聞きたいのは名前や所属など分かりきったことではなく、私という存在はどのように成り立っていてこの世界にどのように認知され存在しているのか、何処か漠然としていて我々がずっと探している、他人の中にしか答えの無いことである。

 

自分が無意味な存在ならそれで良いから誰か教えてくれ!

自分が無意味な存在なら自分が無意味なことを責めなくて済む。

 

私がやけに病気としての診断が欲しくて心療内科や精神科に行きたがるのは本質としての自分がおかしな人間なのではなくて 何かの病気が自分をおかしくしているんだと思うことで自分を許せるような気がするからである。それと同じだ。

 

小学校からトラブルの多い人間だった。自分語り、自分に酔っていると思われたくないので自分の話はあまりしたくないが、簡潔に言えばいじめられていたし、私がいじめたりもしていた。

もしかしたらこれも病気のせいで、純粋な私という存在が憎まれていたのではなく、病気が私を濁したが故に皆から憎まれていたのだったら 私は私を少し許せるし、いじめていた人間のことも許せる気がする。

 

自分が適応出来なかったこと、それは純粋な私の犯した罪なのか、それとも病気のせいなのか

もし病気なら、健常者は一体どのように人生を送ってきたのか、ここまでくしゃくしゃになるまで耐えることなく淡々と人生を送ってきたのか。

病気じゃないなら、私は一体何だったのか、だがこれは健常であるという安心感とはまた別に病みを生むトリガーとなるだろう。

黒歴史にしかならないと分かっているけど考えるのをやめられないしこうして書き留めておきたい、自分の中にある何かに気づけない。

 

 

頭痛がするしもう疲れたから早く死にたいと思う時があるけど、私はまだ人生を手離せない、ただ点で区切っていると文章は永遠に続く、私の生き様もどうせ、こんな風にただただ点を打って、いる、だけである。

 

心「20160706」

メンタル

最近、「心の形」を考える機会があり、私なりに真面目に考えてみました。

 

きっと今後も変化していくと思うので現在の自分が認識している心の形を書き留めておこうと思い記事にしました。

 

 

f:id:BubbLunatic:20160706190451j:image

 

まず、中にある直方体が「自」。

何故四角で描いたかと言いますと、「家」をイメージしているからです。

 

次に、大きな直方体は「自」を含んだ自分の世界で、自分の世界の周りには色々な棘や きらきらしたものが降っています。

 

自分の中に他人を手繰り寄せて、そして世界は構成されていきます。

また、その棘やきらきらしたものを引き寄せてくれるのは自と他どちらもです。他がそれを持っていることもあります。

他は自に自ら踏み入ることはできません。

自は固く閉ざされたものです。

 

しかし自は他を迎え入れることも突き放すこともできます。でも、世界(記憶)から完全に追放することはできません。

 

私は感情のいうものは自分ではない何か 他があって成立するものだと思っていて、自と他がこころを作る基盤であると考えます。

 

 

 

フリルへの執着

日常

私は小学生の頃からずっとロリィタ服が好きです、今ももちろん大好きです。

 

大好きな分拘りがあるし、執着心もあります。

 

私は金銭面での問題でしっかりとしたブランドのロリィタ服を買えないため 普段はaxes等「〜ロリ『風』」の服を着ています。

 

その服は値段の面でも作りの面でも、私の憧れているロリィタ服の境界を超えることはなく、 一般への理解 偏見を取り除く境界にあるものであると考えています。

 

そのため、axesがロリィタだ!axesを着ているから私はロリィタだ! と主張する人は嫌いだし、同じような好きを使いたくないです。

(axesのジャンルがクラシカルロリィタだから、とかそういう問題ではないです。)

 

ドラマ、アニメ、芸能人によってゴスロリという言葉、ファッションが流行って、その特異性に惹かれて私は他と違う、ということを主張するためにロリィタ服を好む人間もあまり好きではありません。何に対しても、好きなものをステータスに利用する人間は好きになれません。

 

私の中でロリィタ服とは救いであり、呪いです。

痛い、と言う人も勿論います。

また、年齢や場所への配慮も必要です。

可愛いものは自分についてきてはくれません。だからと言って手を伸ばしているのにも期限があります。これらを私は呪いと呼びます。

 

でもロリィタ服やフリルのたくさん付いた服を着ると自分はちゃんと女の子だ、服だけはお姫様のようだ と思えることができて、誰のものでもない、ただ自分のために女の子、お姫様になることができるのです。

 

自己陶酔かもしれません。それでも自分の中の理想や自分のためだけにする行動、自分だけのためにお姫様に変身することは私の救いなのです。

 

 

怖いもの

日常

向日葵がほんの少しだけ怖い。

頑なに太陽の方を見ようとするところに向日葵の太陽への執着心のようなもの、依存心のようなものを感じる、それが怖い、それに真ん中が茶色いところが瞳のようで、こっちを見てるようで少し気持ち悪い。

 

またテーマパークや遊園地、お祭り等の騒がしくて人が多いところがふとした時に怖くなる。

自分の周りの人達は皆、皆笑っていて楽しんでいる間に自分はこんな風に他人が笑っている理由を考えている、その感情が場違いでありそんなことを思っている私の存在はこの場から排除されるべきではないかと思ってしまう。自分の楽しいと他人の楽しいがほんの少し違っている様に思えて、自分が異端であるかの様に思える。

 

何事にもびくついている、私は認められて許されて良い存在なのかな。知らぬ間に与えられていた生を自分のもののように感じられない、他人のものを持たされているような気分だ。世の中は不思議なものと怖いものがたくさんあってうまく生きられる気がしない。