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霊性

考え事や絵や写真を留めておくブログです。メンタルヘルス、いじめ、不登校、恋愛、哲学、イラスト、写真、ファッション、色々な物を題材に記事を書きます。

生きるという事について自分なりに考える

生きるためにはご飯を食べなきゃいけないし人間性を保つためには少しの娯楽も必要だ、でもその大前提はお金があることで、私達は一般的にはお金を得る為に働くしいい職につくために勉強する、でも働く事が人生なわけではないし 生きる=働く ではないと思うし 世間一般の正しいとされている生き方が本当に正しいのか 正しいからといって従うことで自分は後悔しないのか そもそも正しいとは何か 自分はどうあるべきか 摸索することが生きることではないかと最近思っている。
だから私は今必死に模索を続けている、誰に正しいと言われなくても。

 

 

私は自殺もまたひとつの生き方であると思う、逃げる事も悪い事ではないと思う。

どうして自殺はいけないことで逃げる事も情けないだの悪いだの言われなくてはいけないのか、どうして救われないのか。

 

某通話アプリで知り合った人間に なぜ自殺を止めるのか 自殺はいけない事なのか と聞いた事がある。

そしたら、「病気や飢餓で生きたくても生きられなかった人がいるから 死ぬのはその人達に失礼だ」  と言われどうしても理解ができなかった。

なぜそこに話した事もない他人の幸福が絡んでくるのか それは事実でしかないしそれならば自殺を考えている人は死にたくても死ねない人である。

この様な発言をされるのが本当に嫌いだ。

生きたくても生きられなかった人は、この発言の中で少なくとも可哀想な存在として取り上げられている、この発言は生きたくても生きられなかった人達にもっと失礼だろう。

なぜ幸福の重さをはかり合うのか、死ぬ事は悪なのか、正しいという言葉に縛られて私達は根本的な何かを考える事を放棄しているのではないか。

うまく言葉をまとめられないが大まかに私の言いたい事が伝わると良いと思う、正しい正しくない一般的一般的でない に縛られるのは疲れた、その言葉に私達独自の生き方や人生の価値などない、人生の価値は自分が決めるものではないのか、私は前述した通り模索している、しかし途中で迷子になりかけている。

人生に基盤などない、偏差値の高い学校を出て収入が多い職について、お金があって、その一般的な幸せの形が本人の求めている幸せの形と一致するかは分からない。

なのにそれを強要されている気がしてならない、怖い。

 

夢の話

大好きな人と一緒に暮らす夢を見た。

何故か場所は新居でも相手の家でもなく、私の家だった。

夢の中で私は眼鏡をかけていた、その眼鏡は色や質感こそ現実の眼鏡と同じだったが僅かに形状が歪んでいた。

私はこれは夢だと思った。

夢の中では何か一部分簡単に歪むはずのないものが歪んでいる。それでも相手や物体を認識できる。

 大好きな人とお風呂に入った。私の家には知らない女の子と男の子が住んでいた。家の中で自転車に乗ってた。

女の子が私と大好きな人がお風呂に入ってるのを見て あー! と言った。

一緒に布団に入ったら母親が来た。

私は大好きな人を布団に隠した。

また気づいたらお風呂に入ってた。後ろから大好きな人を抱きしめておしっこをかけた。

ななめがけのカーテンからまた女の子が見てた。

女子トイレ

女子トイレにわざと少し長く篭る。

 

制汗剤の匂い、女の子のシャンプーの匂い、水の臭い、女の子の声、悪口、噂話、男の子の話、生理の話、おしっこの音、髪に櫛を通す音、全部吐き気がする。

髪がサラサラストレートで、ピンクやラベンダーパープルのハートのパンも似合う女の子、あの子は深い青のピン留め、あの子は宇宙柄のヘアゴム、あの子は金色の×印。

 

可愛い女の子が怖くなったのはいつからだろう、女の子の匂いに目眩がしそうになるようになったのはいつからだろう。

女子トイレの中でほんの30秒、私は考えて、考えて、同じ人間で同じ性別の、違う性格の、沢山の色と装飾、欲を覚えた生き物達を見て聞いて、感じている。

 

 

 

 

自分への答え

皆皆真実ありきの嘘に踊らされている、相手を独占する事、関係に名前をつけて型にはめる事が 本当の幸せか、きっと幸せという概念に本当も嘘もない。

 

正しいとか正しくないとか

そういった事だけで物事を判断すると、ひどく後悔する事になるから

幸せの定義位は 自分でしても良いと思うのだ。

 

まだ未来があるし私はまだ生きていても良いらしい、インターネットで恋人を探す必要は無い、そもそも、恋人を探す必要はきっと無い。

ただ、理解者を探す事は良い利用方法であると感じている。それの全てに出会いを求めたり深い繋がりを求めるのは危険だ。

 

あるひとつの出来事について、ずっと心配して、考えて、出した答えで自分は少し強くなれた。

 

だから他の事もしっかりと考えたい。考える事をやめてはいけない。

 

精神安定3日目、私は自分なりの答えと自分なりの強さに少しずつ近づいている。

鏡写しの世界と瞼の裏の幾何学模様

突っ立っている、そこから動く時に、必ずしも動きたい方向に身体が向くとは分からない、限らない。

逃げたくて目を瞑ると、世界が幾何学模様に包まれる。

そこから落ちていく、溶けるような感覚で自分は元の世界とは離れた、自分の中に入っていく。

そこにはいつもの街並みがあって、時々違う人がいて、時々これが現実世界では無いと自覚して、自分の夢の世界をめちゃくちゃに創り変えようと試みる。

ただ夢の中の自分はひどく無力で、叫ぼうとしても声が出ない、大嫌いな人の手をぐっ、と握ってめちゃくちゃに殺そうとしても力は出ない。

私の夢の中の世界は、死ねない、どんなに望んでも、要するに自分だけが死ねない世界である。

太陽がやけに照っている日もあるし、灰色の空をしている時もある。

太陽が照っている日には必ず人が死ぬ。

 怖い世界に閉じ込められて、思考を失った私は、自暴自棄になって飛び降りて、痛みも感じる事なく地べたで息をしていた。

 

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BGM:Mirror Frustration / 凛として時雨

 

 

 

いじめ

いじめが原因で自殺する事件が相次いでいる。

TVをつけると、死にたいほど苦しいなら学校に行かなくていい、図書館に来ればいい、私もいじめられていたから歌を作っている、逃げても良いんだよ、という内容ばかり。

 

逃げる、という表現にひどく違和感を感じる。

いじめ等、正当な理由があって学校に行かない事は逃げなのか。

強いて言うなら逃げではなく防衛、であろう。

逃げる事には向き合う事よりも大きな勇気が要る、という事を分かっていて欲しい。

 

しかし

学校に行かなくなれば自分の勉強が遅れる。

将来、何か聞かれた時に辛い思いをするかもしれない。

社会的に認められない気持ちでいっぱいになるかもしれない。

それらを分かって、それらを受け入れられる社会を作る勢いで、TVや大人達は学校に行かなくてもいいと言うべきだ。

あまりに、無責任であると感じた。

 

 

 

自殺に至った人達はきっと、死ぬまでまともに目を向けてもらえなかった。

死でしか、訴える形が無かった。

彼らの死は逃げでもなんでもない。宣戦布告かもしれない。彼らなりの復讐かもしれない、救済かもしれない。

周りが逃げていたのを、彼らが逃げていたと勘違いしている気がする。

彼らはきっと自殺、死で訴え向き合おうとした。

 

 何が言いたいのか分からないけど終わり。

 

 

 

 

グレイスケール

 美しい水色のからだを持った蜻蛉が、もう飛べなくなってしまったのか、枝にぶらさがっていた。


このまま此処でこの子は死んじゃうのかなと思うと、その美しさを留めておきたくなった。

美しい青はもう無くなる。

 

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この子が自然に還る前に会えて良かったと、私は思っている。

 

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