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霊性

考え事や絵や写真を留めておくブログです。メンタルヘルス、いじめ、不登校、恋愛、哲学、イラスト、写真、ファッション、色々な物を題材に記事を書きます。

私は誰なのか 診断による許容

私は誰なのか、と聞けば多分周りの人は名前や所属を答える。

私が聞きたいのは名前や所属など分かりきったことではなく、私という存在はどのように成り立っていてこの世界にどのように認知され存在しているのか、何処か漠然としていて我々がずっと探している、他人の中にしか答えの無いことである。

 

自分が無意味な存在ならそれで良いから誰か教えてくれ!

自分が無意味な存在なら自分が無意味なことを責めなくて済む。

 

私がやけに病気としての診断が欲しくて心療内科や精神科に行きたがるのは本質としての自分がおかしな人間なのではなくて 何かの病気が自分をおかしくしているんだと思うことで自分を許せるような気がするからである。それと同じだ。

 

小学校からトラブルの多い人間だった。自分語り、自分に酔っていると思われたくないので自分の話はあまりしたくないが、簡潔に言えばいじめられていたし、私がいじめたりもしていた。

もしかしたらこれも病気のせいで、純粋な私という存在が憎まれていたのではなく、病気が私を濁したが故に皆から憎まれていたのだったら 私は私を少し許せるし、いじめていた人間のことも許せる気がする。

 

自分が適応出来なかったこと、それは純粋な私の犯した罪なのか、それとも病気のせいなのか

もし病気なら、健常者は一体どのように人生を送ってきたのか、ここまでくしゃくしゃになるまで耐えることなく淡々と人生を送ってきたのか。

病気じゃないなら、私は一体何だったのか、だがこれは健常であるという安心感とはまた別に病みを生むトリガーとなるだろう。

黒歴史にしかならないと分かっているけど考えるのをやめられないしこうして書き留めておきたい、自分の中にある何かに気づけない。

 

 

頭痛がするしもう疲れたから早く死にたいと思う時があるけど、私はまだ人生を手離せない、ただ点で区切っていると文章は永遠に続く、私の生き様もどうせ、こんな風にただただ点を打って、いる、だけである。